―そこは夢の墓場

参加者が持ち込んだ各国のナンバープレート

Barkley Marathonsという魔力

誰かの何気ないひと⾔が、その後の⼈⽣に啓⽰のような⼤きな影響を及ぼすことがあります。誰しも、思い当たる節があるのではないでしょうか。⾃分にとってそれは、世界有数の過酷なトレイルランニングのレース「Barkley Marathons」に他なりません。その全容を知れば知るほどに魅了され、⽣涯で 100マイルレースを100本⾛ると決めた⾃分のなかでも特別なレースです(井原選手のポッドキャストでこれまで走ってきた100マイルの軌跡を知ることができます-100miles100times)。

Barkley Marathonsは、テネシー州のフローズンヘッド・ステート・パークのトレイルコースとオフトレイルを使って⾏なわれる100マイルレースです。距離は約45km、累積標⾼は約4500mの周回コースを、制限時間の60時間以内に5周しなければなりません。数字を⾒てわかる通り、100マイル(約160km)を謳いながら実際には200km以上、かつ20000m以上の累積標⾼を⾛る過酷極まりないレースです。ちなみに、60時間以内に5周すれば「フィニッシャー」、40時間以内に3周すれば「ファンランナー」の称号が与えられます。

さらに難易度を⾼めるのは、コースマーキングがないうえに、GPSや⾼度計などの普段のレースでは⽋かせないデジタルギアが使⽤できないというレギュ レーションです。周回中はサポートも受けられません。頼れるのは、地図とコンパス、そして⼰の智慧と経験と⾁体のみ。ルートファインディングしなが ら、周回した証として13〜14地点に隠された本(通称、ブック)を⾒つけ、⾃分のビブナンバーと同じページを破り、スタート/ゴール地点の通称イエローゲートまで持ち帰らないといけません。

また、完⾛者が出るとコースの難易度が増していくというレースディレクターであるラズことラザルス・レイクの“ありがたい”配慮もあり、1986年からの レース史上、2022年時点で完⾛者は15⼈のみ(複数回完⾛した強者を数えても延べ⼈数で18⼈)。過去5年に⾄っては、完⾛者ゼロです。

エントリー⽅法もユニークです。多くは語れませんが、どうにかしてラズの メールアドレスを探し出し、ある⽇のある時刻にレースに出たい想いをしたためたエッセイを送らなければなりません。毎年最⼤で40名しか⾛れないレースに、1000通近くのエントリーがあるといわれます。なぜ多くを語れないのか──。例えば、レースの開催⽇などを事前に公にしてしまったら、⽣涯にわたってBarkley Marathonsを⾛ることができなくなるからです。

レースディレクターのラズと握手を交わす井原選手

365日考え続ける

⾃分は幸いにも2018年、19年、22年、そして今年23年と4回の出⾛が叶っています(21年はコロナ禍の影響で⽶国内の参加者のみで開催)。15名の完⾛者の内訳は⽶国と英国籍のランナーのみ。⽇本のナショナルレコードは、19年に⾃分が3周するまで1周でした(つまり、参加初年度は1周すらできず)。22年はケガもあり2周というのが、⾃分のリザルトです。

Barkley Marathonsを⾛るまではDNF(Did Not Finishの略。途中棄権、リタイアを表す。)をしたことがなかったので、どれだけ完⾛者がいなくても、⾃分なら⾛り切れるのではないかという淡い期待を抱いていましたが、そんなものは無惨にも散りました。出⾛者に保証されているのは失敗のみ。“夢の墓場”といわれる所以です。

⾃分のBarkley Marathonsへの準備は、DNFしたその瞬間から始まります。⽇々のトレーニングはもちろん、帰国してからBarkley Marathonsまでにエントリーするレースも常にそれを意識したものになります。

22年でいえば、彩の国やタイで開催されたDoi Inthanonといった100マイル レース、23年年初の298kmを60時間以内に⾛るHong Kong 4 Trails Ultra Challenge(HK4TUC)は、Barkley Marathonsを仮想してのこと。どのレースやチャレンジにもそれぞれの難しさがありますが、そのなかでさらにターゲットを定めて⾃分を追い込んでいきました。また、仲間にサポートしてもらい地図読みのトレーニングも取り⼊れ、Barkley Marathonsを⾛り切る⼒を蓄えるために出来る限りのことを尽くしていきました。

途中、無理がたたって帯状疱疹になったり、ケガをしたりすることもありましたが、納得のいくトレーニングを積んでいくことができました。もっとできることがあったかもしれないと思うこともあります。

しかし、過去3回⾛ったときに感じた恐怖⼼のようなものは、⼀切なし。そうした境地に辿り着き、3⽉3⽇にテネシー州のフローズンステートパークへと出国しました。レースまで約10日間は試⾛が許されたエリアを⾛り尽くし、地形や “コースになるであろう”ルートの特徴などを⾝体に刻み込みます。コースは前⽇の⼣⽅にマスターマップが配られるまでわかりません。配られたら即座に試⾛で記憶したそれらの情報をマスターマップの情報とあわせて、⾃分のマップに書き写していきます。

“イエローゲート”の前で記念撮影

8:54に法螺貝が鳴る

そうこうしているうちに、前⽇の夜8時。イエローゲートのそばに張ったモンゴルの遊牧⺠が使うゲルのようなテントの中で眠りにつきました。

⽬が覚めたのは、早朝5時過ぎ。⼗分な睡眠は取れているし、遅くとも5時間以内に法螺⾙が吹かれることを考えると、⾝⽀度を始めるにはちょうどいいタイミングでした。ちなみに、法螺⾙が吹かれた1時間後にスタートするというのも、Barkley Marathonsのユニークなルールです。

テント内でゆっくり⾷事をとり、テーピングを巻き始めたころ、法螺⾙の⾳が鳴り響きました。時刻は8:54。1時間後に4回⽬のBarkley Marathonsへの挑戦がスタートします。

昨年のBarkley Marathonsが終わったその⽇から、今⽇という⽇を意識してやれることはやり尽くしました。なにより⾃分には過去3回の“経験”があります。もちろん、ここまでの家族や友⼈、メーカーのサポートのおかげもあって、これ以上にない状態でスタートラインに⽴つことができました。

スタートラインに⽴つと、ラズから時を刻む以外になんの取り柄もなさそうな時計を渡されます。レース中、装備できる唯⼀のデジタル機器。あとは⼰の智慧と経験と⾁体だけが頼りです。

いよいよタバコに⽕がつけられると同時に⼿元の時計が「0:00」を指し、40⼈の“仲間”とともに2023年のBarkley Marathonsがスタート。4周⽬までの周回⽅向は予め決まっていて、時計-反時計-反時計-時計の順に回ります。そして、5周⽬は最初に帰ってきたランナーがどちら回りにするかを決め、その後は到着順に時計-反時計を互い違いに振り分けられていきます。

今年は昨年とコースが同じ。地図を⾒なくても迷わず進んでいける。ブックの隠し場所も昨年と⼤きな違いはなく、むしろ1つ少ない。これ以上にない追い⾵が後押しして、1周⽬は⽬⽴ったトラブルやミスもなく順調すぎるほどに コースを回れ、想定より約15分も早い9時間15分ほどでイエローゲートに帰ってこられました。エイドで15分補給をし、9時間30分で2周⽬へ。

補給中の井原選手

葬送のラッパと2024年

しかし、2周⽬は反時計回りで、かつ夜間。コースの難易度は格段に上がります。また、寒さへの対応も必要になります。コースの中間地点にあるThe Towerと呼ばれる場所に配置されたペットボトルの⽔は、当たり前のように凍ります。こういう時こそ、慎重にならなければならないのに、コースを“熟知”しているという余裕からか、尾根を下るときに⼩さなミスを重ねていってしまいます。⾃分では感じていない焦りがあったのかもしれません。

やがて時間は少しずつついばまれ、3周⽬を終えたのは関⾨の約5分前。⾒かねた別のランナーのサポートたちが⾃分を4周⽬に送り出そうと、インディカーのピットクルーの如く補給⾷や装備を詰め込んでくれ、どうにか23秒前にイエローゲートをあとにすることができました。間⼀髪。

少し冷静になろうと、途中でザックの中を整え、持ち物を確認していくと持つべき補給⾷やギアが⼊っていなかったり、そもそもエイドでとるべき補給が⾜りていなく、まったく前に進めていない⾃分に気づきます。何度か持ち直し、 5周⽬をめざしたものの、そのリアリティが薄れたときに今年のBarkley Marathonsを終えることを決⼼しました。

⽇本から映像を撮りにきてくれた仲間にDNFを伝え、イエローゲートに戻ると鳴り響く「葬送のラッパ」。それは、⾃分の来年のBarkley Marathonsが始まりを告げる合図でもあります。今年は驚くことに完⾛者が3⼈。しかも、フランスとベルギーという、これまでとは異なる国籍。しかし、彼らの実績を⾒れば納得の結果といえるでしょう。来年のBarkley Marathonsまで、あと300⽇と ちょっと。来年の今ごろ、今度は⾃分が向こう側に⽴つために、⻑くも短い1年が始まるのです。

Salomonのトレイルランニングシューズ

Barkley Marathonsで活躍したSalomonギア

今回のBarkley Marathonsで履くシューズの条件は、オフトレイルを進むためのグリップ⼒と超⻑距離を⾛り切れるクッショニングを備えていること。「 S/LAB GENESIS」と「S/LAB ULTRA 3 v2」のコンビネーションは、それらを必要⼗分に満たしてくれました。リニューアルしたS/LAB ULTRA 3 v2は、⾜型はそのままでS/LAB GENESISと同じ⾼強度のMatryx®アッパーに変更され、Barkley Marathonsの過酷さにも耐えうるものでした。また、22年のバックヤードウルトラ以来、愛⽤しているソックス「S/LAB NSO VERSATILITY」は、程よいコンプレッションに加え、ハイソックスらしく寒さや草⽊の擦れから守ってくれる頼もしい相棒でした。


FOCUSED ITEM

S/LAB GENESIS

コンペティションへのこだわりから解放されたシューズ。レース仕様の抜群のグリップと優れた保護力、快適さを備えていますが、自己最高記録よりも共有経験を積み重ね、数値ではなくアドベンチャーとして距離を語れるような、トレイルランニングの新しいアプローチを提案します。S/LAB ULTRA 3 v2に比べクッション性が高く、かかと外側と土踏まず付近に配されたプレートが足のブレを抑えてくれるので、100マイル以上の距離でも頼りになるシューズです(詳細なレビューはこちらの記事で確認できます)。

S/LAB ULTRA 3 v2

S/LAB ULTRA 3 ファンのために、ベストセラーの所以たる快適なフィット感と長距離向けのライド感はそのままに、アッパーを改良して 10% の軽量化を実現。通気性と耐久性の高い新しい Matryx® メッシュがソックスのように心地よくフィットします。ミッドソールのクッション性も相変わらず抜群。Contagrip® アウトソールがどこまでもパワフルな走りをサポートします。あくまで記録に挑戦するS/LABカテゴリーレベルなので固めなフィーリングではありますが、Salomonらしい接地感も残したシューズです。

S/LAB ULTRA KNEE

※S/LAB NSO VERSATILITYに近しいモデルを紹介しております。
ウルトラディスタンスのために開発された S/LAB ULTRA KNEE は、トリガーポイント(〇部分)に Resistex® Bioceramic ファイバーを使用することで微小循環系の働きを高め、エネルギーリターンを向上。軽いコンプレッションで筋肉をサポートし、速乾性に優れた配合で履き心地も快適です。長時間着用しても気にならない、程よい着圧のソックスです。


井原 知一 / Tomokazu Ihara

Facebook / Instagram

・Answer4アスリート / Salomonアスリート

株式会社TOMO’S PIT代表Facebook / Instagram
※オンラインコーチング

Podcast / 100miles100times

2007年当時、身長178cm・体重98kgの肥満体系であったが、ダイエット企画の社員サンプラーとなり毎日30分トレッドミルを走り続けた結果、3ヶ月で7kgの減量に成功。それ以来、走ることがライフスタイルとなりトレイルランニングと出会う。夢は、100マイルを100本完走するとともに走る楽しさを広げていくこと(2022年12月時点で100マイルを64本完走)。