選手を阻む延暦寺の狭き門
関西を代表するハードなレース
比叡山インターナショナルトレイルランは滋賀と京都にまたがる比叡山を舞台に開催され、第一回開催の2015年から今回2023年で9年目を迎えます。比叡山は天台宗の開祖である伝教大師最澄がこの地に延暦寺を築いた歴史ある霊峰です。延暦寺境内には根本中堂をはじめ、西塔、横川中堂と有名な建造物が並び、1200年の歴史と伝統が認められてユネスコ世界文化遺産に登録されています。そんな由緒ある比叡山で開催され、関西のトレイルランニングレースを代表するのが、比叡山インターナショナルトレイルランです。
2015年を第1回大会とし当初は50km部門だけの開催でしたが、50km部門に加えて、50mile(80km)、23km部門がそれぞれ加わり、2023年もその3部門で開催されました。私が出場した50mile部門は、比叡山延暦寺根本中堂前をスタートし、京都側に下っていき、比叡アルプスの登りを経ると辿り着くロテルド比叡前から、今度は滋賀県側である大津市坂本に下りて、比叡山高校のグラウンド横の登山ルートから裳立山を登って、根本中堂前に戻ります。これで約20kmの前半コースが終わります。その後、根本中堂前から延暦寺境内を走り、再び京都側に下りて、標高767mの横高山を登って、そのまま比叡山の稜線伝いに北上し、大津市仰木エリアを経て、再度根本中堂前に戻ってきます。ここまでが後半コースで50km地点となります。50km部門はここでゴールですが、50mile部門はここから再度この後半コースをもう一周(横高山の登りは省略)し、合計80kmとなります。
50mile部門は、何といってもその制限時間が厳しい事で有名です。そもそもの参加資格はフルマラソン3時間以内達成者、もしくは100km以上のトレイルランニングレースを完走した経験がある事が条件とされています。そんな選りすぐりのランナー達でも、この厳しい制限時間に苦しみ、大半は完走できずに涙を飲む事になります。50km部門の制限時間は11時間ありますが、50mile部門の制限時間は11時間30分という事で、その厳しさが分かると思います。屈強な猛者でしか挑む事ができず、そのうちの20%程度しか完走する事ができないため、比叡山50mileの完走はトレイルランナーの憧れでもあり、目指すべきレースとなっています。
過去の幻影を求めて
トレイルランニングを始めて本格的なレースに出場したのが比叡山インターナショナルトレイルランの50km部門です。当時の私が経験していた最長距離はロードのフルマラソンであり、50kmも(しかもトレイルで)走る事ができるのかという不安しかなかった事を覚えています。その不安は案の定で、経験したことのないキツさが待ち受けていました。コース上で、最も斜度がきつく、苦しい登りの時間が続く横高山ではフラフラになり、コース終盤の横川中堂への階段(現在はコース変更になっており、通過しない)では足が使いものにならないので、手すりを使ってよじ登った記憶があります。そんな過酷なレースで私より1時間以上も早くゴールしているTOP選手(その年は大杉選手と大瀬選手が同着で優勝)があまりにも異次元で、表彰式に立つ姿があまりにもかっこよく映ったものです。
その翌年も私は50km部門に出場していましたが、その年から創設された50mile部門で優勝した土井選手が9時間そこそこのタイムでゴールしたことも衝撃を受けました。50km完走するのでさえもうこれ以上とても走れないという状態になるのに、そこからさらに30km走ってくるなんて。50kmの自分がゴールして、そんなに時間が経たないうちに、50mileのトップの選手がまもなくゴールを迎えますと会場のアナウンスが。ゴールに向かう土井選手の姿を間近で見る事が出来て、あまりのかっこよさにまたまた衝撃を受けました。
そこから2年後の2019年。比叡山で見たTOP選手に憧れて一生懸命実力を磨いて、様々なレースに出場する事で経験を積み、今度は自分が比叡山50mile部門のチャンピオンとなる事が出来ました。この時の達成感はそれまでに積み重ねてきた努力が実り、生涯忘れ得ぬ経験となりました。そこから、コロナ禍を経て再び開催された2022年の比叡山50mileレース。前回大会のチャンピオンとして招待選手という立場で参戦しました。しかしながら、その1ヶ月前のUTMFの結果が悔しいものに終わり、その時から調子を崩しており、その日も結果は8位。前回チャンピオンというプライドはズタズタにされ、そこから故障もあり、すっかり出口の見えない不調という暗いトンネルに入っていました。ケガも癒えず、やる気も削がれ、TOP選手に憧れて必死に努力し、結果を出した頃からは天と地の差で、いっそ走る事を辞めようと思っていました。
やる気が持てず自信も失っていた頃、こんな自分に声をかけてくれたのがトレイルランを通じてそれまで知り合った方々や、自分を支えてくれているサポートメーカーさんでした。ケガは必ず治るし、調子も戻りますから、続けていきましょうと。苦しい時に声をかけていただいたその方たちを決して裏切る訳にはいかないと心底から思いました。それからは、過去の自分の状態に必ず復活すると心に決めました。その過程で、とても仕上がっているとは言えない状態でレースにも出て、過去の自分と比べても歯痒く悔しい思いもしましたが、それでも一からやり直す気持ちで復調に向けて地道に努力を続けました。そして、再び自分に憧れとチャレンジを与えてくれたこの比叡山の舞台にまた挑むことを決めました。
挑め、己の限界に
スタートは午前8:50。この日は午後から雨予報ですが、スタート時点は雨雲の気配すらありませんでした。関西及びそれ以外の地域からも集まった128人のランナーが50mileに挑みます。私は完走する事が目標でなく、あくまでも入賞する事が目標でした。この日までに約4ヶ月をかけて身体を作り上げ、過去最低体重にまで絞り上げる事に成功していました。練習量もレース前月は累積獲得標高20,000mの練習を積んでいました。しかし、どれだけ練習してきても、結果を出す自信や入賞してゴールするイメージを失っていたので、スタートして走り出しても不安しかありませんでした。そんな不安を抱えながら取りうる戦略は、50mileを一定ペースで走り続ける事です。
決して周囲のペースに巻き込まれる事なく、50mileという長い距離の中で自分の走りをする事にだけ意識を置いてスタートしました。何のトラブルもなくマイペースだけを意識して、前半コースを終えてのタイムは2:21:32。2019年や前回大会と比較しても、決して早い通過タイムではありません。しかしながらまだ疲労は感じておらず、スムーズに後半コースに移っていきました。この時点での順位は5位。入賞するにはあと2つ順位を上げたいところでした。コース上最も険しいとされる横高山を登っている時に、1つ前の選手を追い越す事に成功しました。またしばらくすると、それまで先頭を走っていた選手が調子を崩していたため、勢いのまま交わして3位になりました。ここまでで25km地点を通過。例年より疲労度は低く感じていました。これはこのまま順位もさらに前へ上げていけるのではないかと自分に期待感が生じて、さらに前を目指していきたい気持ちが湧いてきました。
一旦山を下りてきてロード区間の始まる38km地点で、2位の選手が少し前に見えました。この選手はロードの登りでは歩きを織り交ぜながらの走りだったため、追い抜けるのではないかとこの時感じていました。それから2位の選手に追いついてはエイド滞在中に離されてを繰り返し、ようやくかわせたのは43km地点の延暦寺境内に入ってからでした。2位だった選手はハンガーノック気味だったようです。残すは1位の選手のみですが、その手前40km地点でロードの折り返し区間があるため折り返しで姿を確認すると、折り返し距離の差からタイムは10分少々ビハインドだと推測できました。その時点では残りまだ40kmあるため、逆転不可能な差ではないと感じましたが。すれ違ったその表情や走りにかなり余裕がありそうだとは思いました。しかし、レースではまだまだ何があるか分からないという事で、諦めずに前を追っていこうと思いました。
そして50km部門のフィニッシュ地点を通過し、50mile後半コースの2周目へ。ここから予報通りの雨が降ってきて、路面コンディションが一気に難しくなりました。一周目で難なく下ることができた急斜面のトレイルも雨でドロドロになり、滑り台状態に。50kmの選手で下り渋滞ができていましたが、その横をすり抜けていこうとした結果転倒し、そのままブレーキが効かないまま、急斜面をお尻から滑降することに。幸いにも擦り傷程度で済みましたが、身体中泥まみれになりました。引き続き、前を追う姿勢は見せましたが、通過タイム差を確認するとかなり空いていますとレース関係者から告げられ続けて、そこで内心、優勝を目指すことを諦めてしまいました。そのまま50mileのゴールを2位で迎えましたが、優勝選手とは約30分差でした。優勝選手は折り返し区間でお互いの姿を確認した後さらに加速したと思うと、差は歴然だったと思わざるを得ませんでした。
己の限界に挑めたのか
自分の得意なミドルディスタンスでの復帰戦でしたが、まずは準優勝という結果には納得しています。レース前から自分は速く走れるという自信があった訳ではなかったので、走り方に関しては序盤から攻めない走り方で、終始安定したペースで走る事を意識していましたので、その意味では予定通りの走り方ができたのかなと思っています。同大会は今年で6回目の出走(50mileは4回目)となるため、コースの走り方は熟知しているつもりです。それもあって中々攻めた走りができないのは、やむを得ないとは思いますが、今回はトップの選手を追う場面でも攻めきれていなかったという正直な感想です。
補給面でもジェルを少量(6つ持参し、3つ摂取)ですが、長い登りの前など適度なタイミングで摂取でき、あとはエイドにある素早く食べられるフルーツ等で補い、なるべくタイムロスを減らしつつ、エネルギー切れもせず走れたのかなと思います。ウェアリングも当日の気候に合ったもの(50km以降は雨で体感温度は下がりましたが、半袖で動き続けられた)を身に付けられたと思っています。レースとしては何も失敗する事なく、これまでの経験を踏まえて、万全の準備・姿勢で臨めたと思います。課題としては、優勝した選手や序盤に自分より上位にいた選手のスピードになるべく付いていけるように、スピードとその持続力をこれから出していきたいと思います。
比叡山インターナショナルトレイルランで活躍したSalomonギア
比叡山インターナショナルトレイルラン50mileに必要なシューズの条件は、レース時間がそこまで長くないため、スピーディな足捌きを最優先とし、加えてウェットな地質からガレたサーフェス及び固いロード面に対応するグリップ力とプロテクション、そしてクッション性が求められると判断しました。また100mileレースではないため、それぞれの機能を万全に備えるとシューズ自体が重くなってしまうため、機能的かつ軽量シューズが求められます。
今回のレースで履いたのはS/LAB PULSAR 2 SGでしたが、重量が片足わずか203g(27.0cm)で、その軽さの恩恵を受けて、足が上がる感覚を最後まで持つ事ができました。またクッション性も適度にあり、ガレた路面でも下からの突き上げもなく、コンクリートなどの固い下り場面でも衝撃を吸収してくれたと思います。終盤は疲れてきて足が重く感じるものですが、少なからずこのシューズの軽さやクッション性によって軽減できたと思います。また足に接触するかかと部分がソフトな仕様になっているため、接触痛もなく、まさにソフトで快適な履き心地でした。
今回は50mile(80km)でしたので、このシューズの恩恵を受けた走りが出来たと思いますが、個人的にはこれ以上の距離で使っていくのはオススメできず、一定の強度を出力し続ける走り方だと長時間の接地衝撃に耐えきれずダメージを負ってしまうのではないかと思いました(ペースや走り方にもよります)。50kmまでの距離でしたら、高強度の走り方でもこのシューズの恩恵を受けられるのではないかという個人的な印象です。
FOCUSED ITEM
S/LAB PULSAR 2 SG
史上最高のレースを目指すトップアスリートをイメージした S/LAB PULSAR 2 SG。S/LAB の最新技術とノウハウを駆使したこのモデルは、軽量で高強度かつ通気性にも優れたMatryx® メッシュと、最適なクッション性能で足をやさしく包み込む新しいアッパーとヒール構造を採用。先行モデルに劣らない軽さで不安定な地面をしっかりつかみ、ダイナミックな走りで加速を続けます。SGは「SOFT GROUND」の略で、通常のPULSARと異なりぬかるんだ柔らかい地面でもしっかりとグリップするパターンとなっています。
SENSE PRO 5 SET
数秒の遅れが勝敗に影響を与えるトレイルランニングでは、快適性と利便性が差をつけます。ミニマルデザインのSENSE PRO 5 は、摩擦が少なくフィット感も抜群。究極の快適性を実現しました。トレイルランニングの必需品を即座に出し入れでき、パフォーマンスの向上をサポートします。付属しているソフトフラスクもスムーズな出し入れを可能にする形状となっており、サロモンのランニングバックパックの中で最もコンペティティブなラインナップなっています。
板垣 渚 / Nagisa Itagaki
・Salomonアスリート
学生時の代陸上経験はなく、大学卒業前にホノルルマラソンに出場し、走る事の充実感・達成感の素晴らしさに出会う。
30歳を過ぎてトレイルランニングという競技を知り、山の様々な地形を駆け抜ける魅力にどっぷりと浸かる。練習環境は山が主体で、滋賀県大津市の比良山の麓に現在の住居を構え、山とランニングを楽しむ生活を送っている。
<主な戦績>
2019 奥三河パワートレイル 優勝
2019 比叡山ITR50マイル 優勝
2019 峨山道トレイルラン 優勝
2021 LAKEBIWA100 3位
2021 ひろしま恐羅漢エキスパートの部 優勝
2021 TAMBA100 3位
2022 奥三河パワートレイル 優勝
2022 UTMF 41位
2022 比叡山ITR 8位