ニュース&トピックス
中ノ茶屋
中ノ茶屋 吉田口登山道の玄関口ともいえる北口本宮冨士浅間神社の登山門と「馬返し(1合目下)」の中間にある茶屋。創業は江戸時代中期の1706年で、多くの富士講信者や登山者に茶や軽食を提供してきました。茶屋の周辺には富士講にまつわる石碑が立ち並び、富士山信仰の歴史を感じさせます。現在は軽食を提供するほか、ライフスタイルパートナーとして安全登山や麓からの富士登山にまつわる情報を発信するなど、富士吉田市とサロモンが取り組む新たなアクティビティの拠点として機能しています。店内のサロモンブースではシューズレンタルサービスを行っているので、ぜひご利用ください。北口本宮冨士浅間神社からは徒歩約1時間でアクセス可能です。 【中ノ茶屋】所在地:山梨県富士吉田市上吉田5601-1電話番号:090-4614-0223営業時間:9:00〜17:00(8/18〜8/31、4/18〜6/30、9/1〜10/31は〜16:00)定休日:木曜、冬季 ※7/19〜8/31無休 S/PLUS(サロモンメンバーシッププログラム)サービス内容 シューズレンタル無料、シャワーブース利用無料、フードメニューを特別価格で提供(吉田うどん全メニューが並¥500、大盛¥600に)、限定ノベルティプレゼント(ゴールド&シルバー:オリジナル手ぬぐい、ブロンズ:オリジナルステッカー) ※ライフスタイルパートナーとは……サロモンとの親和性や価値を相互に向上し合い、サロモン メンバーシッププログラム「S/PLUS」のメンバーへ特別なサービスを提供する施設や店舗のこと。富士吉田市のライフスタイルパートナーにおいては、吉田口登山道の歴史と文化、価値をサロモンとともに捉え直して新たに発信していく仲間でもある。 S/PLUSメンバー登録はこちら
中ノ茶屋
中ノ茶屋 吉田口登山道の玄関口ともいえる北口本宮冨士浅間神社の登山門と「馬返し(1合目下)」の中間にある茶屋。創業は江戸時代中期の1706年で、多くの富士講信者や登山者に茶や軽食を提供してきました。茶屋の周辺には富士講にまつわる石碑が立ち並び、富士山信仰の歴史を感じさせます。現在は軽食を提供するほか、ライフスタイルパートナーとして安全登山や麓からの富士登山にまつわる情報を発信するなど、富士吉田市とサロモンが取り組む新たなアクティビティの拠点として機能しています。店内のサロモンブースではシューズレンタルサービスを行っているので、ぜひご利用ください。北口本宮冨士浅間神社からは徒歩約1時間でアクセス可能です。 【中ノ茶屋】所在地:山梨県富士吉田市上吉田5601-1電話番号:090-4614-0223営業時間:9:00〜17:00(8/18〜8/31、4/18〜6/30、9/1〜10/31は〜16:00)定休日:木曜、冬季 ※7/19〜8/31無休 S/PLUS(サロモンメンバーシッププログラム)サービス内容 シューズレンタル無料、シャワーブース利用無料、フードメニューを特別価格で提供(吉田うどん全メニューが並¥500、大盛¥600に)、限定ノベルティプレゼント(ゴールド&シルバー:オリジナル手ぬぐい、ブロンズ:オリジナルステッカー) ※ライフスタイルパートナーとは……サロモンとの親和性や価値を相互に向上し合い、サロモン メンバーシッププログラム「S/PLUS」のメンバーへ特別なサービスを提供する施設や店舗のこと。富士吉田市のライフスタイルパートナーにおいては、吉田口登山道の歴史と文化、価値をサロモンとともに捉え直して新たに発信していく仲間でもある。 S/PLUSメンバー登録はこちら
標高3776mの頂へ! 富士登山におすすめの装備をピックアップ
富士登山におすすめなアイテムを、サロモンのトレッキングシューズやバックパックの中からセレクト。「どのようなポイントが富士登山におすすめなのか」その機能性をわかりやすく紹介していきます。 X ULTRA 5 MID GORE-TEX 商品を見る 昨今ではさまざまなタイプが出揃っているトレッキングシューズですが、山行やフィールドに合わせることもシューズ選びの大切なことの1つです。富士山におすすめのモデルは、軽量でありながら優れた安定感を発揮するX ULTRA 5 MID GORE-TEX。足首をしっかりホールドするミドルカットのトレッキングシューズです。フィット感と堅牢性を高めたアッパーには防水透湿素材GORE-TEXを採用しており、風雨の影響を受けやすい富士山にぴったり。全地形対応のアウトソールContagrip®︎は濡れた土や砂礫地でもしっかりとグリップします。土踏まず部分には、サロモン独自のAdvanced Chassis™(アドバンスド エアシャーシ)を搭載。接地の際に生じる足首の横ブレや捻じれを抑え、ねん挫などの怪我のリスクを軽減します。つま先を保護するトウガードつきで、木の根が多い樹林帯や5合目以降の岩場でも安心。 AEROTREK 商品を見る 高度順応しながら高所エリアに対応する装備に加えて着替えや十分な行動食と水分が必要になる山小屋泊の山行には、30〜40ℓ以上のモデルがおすすめです。2、3日の山行に必要なギアをすっぽり収めるAEROTREK は、ショルダーハーネスにはソフトフラスクを収納できるポケットを、背面フロントに左右からものを出し入れできるメッシュポケットを設けるなど、ディテールも考え抜かれています。 このモデルの最大の特徴は、独自の技術を用いた背面フレーム、Advanced airChassis™(アドバンスド エアシャーシ)。独特の形状をしたフレームが身体の動きに追従してフィット感を高めるだけでなく、バックパックの背面が背中に密着しない設計により蒸れを軽減してくれます。ショルダーやウエストに適度な厚みを持たせたハーネスにもメッシュ素材を採用して通気性を高めています。安定感と高い通気性を兼ね備えるAEROTREKは蒸し暑い日本の夏山でも、長時間快適に行動できます。 背中に密着するのはメッシュ地のフレームのみ。バックパックと背中の間に空気の通り道ができ、蒸れが軽減されます。 Outerpath 商品を見る 天候が急変しやすい山では、たとえ晴天の予報であってもレインジャケットは必携です。透湿性と防水性にすぐれたOuterpathシリーズは、さまざまなアウトドアフィールドに対応する汎用性の高い1着。風が強いときや寒いときには防寒アイテムとしても活躍します。
標高3776mの頂へ! 富士登山におすすめの装備をピックアップ
富士登山におすすめなアイテムを、サロモンのトレッキングシューズやバックパックの中からセレクト。「どのようなポイントが富士登山におすすめなのか」その機能性をわかりやすく紹介していきます。 X ULTRA 5 MID GORE-TEX 商品を見る 昨今ではさまざまなタイプが出揃っているトレッキングシューズですが、山行やフィールドに合わせることもシューズ選びの大切なことの1つです。富士山におすすめのモデルは、軽量でありながら優れた安定感を発揮するX ULTRA 5 MID GORE-TEX。足首をしっかりホールドするミドルカットのトレッキングシューズです。フィット感と堅牢性を高めたアッパーには防水透湿素材GORE-TEXを採用しており、風雨の影響を受けやすい富士山にぴったり。全地形対応のアウトソールContagrip®︎は濡れた土や砂礫地でもしっかりとグリップします。土踏まず部分には、サロモン独自のAdvanced Chassis™(アドバンスド エアシャーシ)を搭載。接地の際に生じる足首の横ブレや捻じれを抑え、ねん挫などの怪我のリスクを軽減します。つま先を保護するトウガードつきで、木の根が多い樹林帯や5合目以降の岩場でも安心。 AEROTREK 商品を見る 高度順応しながら高所エリアに対応する装備に加えて着替えや十分な行動食と水分が必要になる山小屋泊の山行には、30〜40ℓ以上のモデルがおすすめです。2、3日の山行に必要なギアをすっぽり収めるAEROTREK は、ショルダーハーネスにはソフトフラスクを収納できるポケットを、背面フロントに左右からものを出し入れできるメッシュポケットを設けるなど、ディテールも考え抜かれています。 このモデルの最大の特徴は、独自の技術を用いた背面フレーム、Advanced airChassis™(アドバンスド エアシャーシ)。独特の形状をしたフレームが身体の動きに追従してフィット感を高めるだけでなく、バックパックの背面が背中に密着しない設計により蒸れを軽減してくれます。ショルダーやウエストに適度な厚みを持たせたハーネスにもメッシュ素材を採用して通気性を高めています。安定感と高い通気性を兼ね備えるAEROTREKは蒸し暑い日本の夏山でも、長時間快適に行動できます。 背中に密着するのはメッシュ地のフレームのみ。バックパックと背中の間に空気の通り道ができ、蒸れが軽減されます。 Outerpath 商品を見る 天候が急変しやすい山では、たとえ晴天の予報であってもレインジャケットは必携です。透湿性と防水性にすぐれたOuterpathシリーズは、さまざまなアウトドアフィールドに対応する汎用性の高い1着。風が強いときや寒いときには防寒アイテムとしても活躍します。
魅力あふれる吉田口五合目までの活用を考える「富士山登山道整備ワークショップ」をレポート
太田安彦(一般社団法人マウントフジトレイルクラブ代表理事)田代広久(富士吉田市案内組合 組合長)池敏子(富士山ガイド) 北口本宮冨士浅間神社から山頂までを結ぶ吉田口登山道は、富士山の登山道のうち、山麓から山頂まで歩いてアクセスできる唯一のルートです。かつては“富士みち”として親しまれ、富士講の行者による登拝がさかんに行われていましたが、1964年に富士スバルラインが開通してスバルライン五合目が設置されると、五合目以下の利用者が激減。登山道は一気に荒廃していきました。 富士講にまつわる石造物が並び、信仰の道としての歴史をいまに伝えています。 吉田口登山道には富士山信仰の歴史をいまに伝える神社や小屋跡、石造物が残されていますが、その多くが老朽化しています。富士みちをどう活用し、歴史的価値や楽しみ方を伝えていくのか。こうした現状や課題を、登山道にまつわる歴史を学びながら、活用を考えようというワークショップが、サロモンを含めたアメアスポーツジャパンのスタッフとその関係者に向けて実施されました。 ここではワークショップの内容をお伝えするとともに、富士山と富士登山にまつわる文化や活動をサポートするサロモンスタッフが、吉田口登山道が抱える課題に対してどんな思いをいただいたのか、リアルな声もご紹介します。 開山直前の週末に行われた「富士山登山道整備ワークショップ」。当日の朝、スタート地点となった中ノ茶屋前には、東京から参加したサロモンのスタッフを中心に、アメアスポーツジャパンおよびその関係者30名と、それを迎える富士吉田市職員、そしてワークショップを引率するガイドが集合しました。 プログラムは「ユネスコ世界文化遺産の構成要素である山域の信仰遺跡群と文化財を多くの人に見てほしい」という堀内茂・富士吉田市長の挨拶でスタート。続いて登場したショーン・ヒリアー・アメアスポーツジャパン代表取締役社長は「環境、スポーツ、富士山の自然……大事なことに思いを馳せながら歩いてみましょう」と、ワークショップでの心構えを説きました。 さまざまな資料とともに、吉田口登山道の歴史や文化を解説してくれたガイドの太田さん(右)と田代さん(左)。 ワークショップに参加したショーン・ヒリアー社長。 中ノ茶屋でのオリエンテーション後、参加者はバスにのって細尾野林道入り口へ。ここから本日のガイドを務める太田安彦さん(一般社団法人マウントフジトレイルクラブ代表理事)と田代広久さん(富士吉田市案内組合 組合長)、池敏子さん(富士山ガイド)の案内のもと、三合目から一合目直下の馬返しまでを歩きます。三合目に至る細尾野林道は、本線と比べるとハイカーやトレイルランナーの姿もぐっと少なく、ヘビイチゴやヤマツツジなどこの時期に花咲く植物を眺めながら静かな山歩きを楽しめます。三合目の手前に現れたのが「女人天上(にょにんてんじょう)」という遥拝場。富士山が女人禁制だった時代、女性たちはここから富士山を拝んだといいます。ここで太田さんから、富士山信仰についての解説が行われました。 ほとんど認知されていないという「女人天上」へ。遥拝場へ至る急なトレイルの周辺ではたくさんの古銭が発見されているとか。 「富士山信仰は古代、噴火を繰り返す富士山そのものを神格化する自然崇拝から生まれました。当時は遠くから眺め、畏怖する対象だったようです。平安時代になると日本古来の山岳信仰と密教・道教が結びついて修験道が盛んになり、行者による登拝が行われるようになりました。15〜16世紀になると登拝が庶民にまで広まり、富士講の開祖・長谷川角行とその弟子、食行身禄(じきぎょうみろく)によって一気に大衆化。富士吉田の街には御師町(おしまち)が開かれ、日本全国から信者が押し寄せるようになりました。そこから現代のレジャー登山へと開かれていくのです」 「女人天上」で記念撮影。「女人天上」前の樹木は伐採されており、ここから富士山の頂をのぞくことができますが、背後の富士山は雲に隠れてしまいました。 富士山とご来光を同時に見渡せるスポットですが、登山道本線から外れていることもあり、ここの存在はほとんど知られていません。けれども、女性の入山が禁じられていた山岳信仰の当時の姿や、富士講が説いた男女平等を実現するために男装で登った女性信者のエピソードが残る「女人天上」は、富士山信仰を伝えるうえで欠かせないスポット。富士山の吉田口登山道のハイライトの一つとしてここをどう活用するか、今後の課題の一つとなっています。 「女人天上」を経て三合目(標高1840m)の、通称「三軒茶屋」へ。富士五湖を一望するロケーションで、江戸時代には「見晴茶屋」と「はちみつ屋」という小屋があり、お茶を点てて登拝者をもてなしていました。ここに残されている廃屋は、かつての「はちみつ屋」跡。残置された廃材・廃屋は登山道の景観を損ねますが、国立公園内に位置することもあってさまざまな規制の対象となっており、再建や撤去が難しいのだといいます。 三合目からさらに下り、二合目(標高1700m)の富士御室浅間神社跡へ。河口湖の南岸にある富士御室浅間神社の本宮で、富士山で最古の創建と伝えられます。戦国時代には武田信玄が勝利を祈願したという由緒ある神社ですが、こちらも登山道の荒廃とともに参拝や維持がなされなくなり、倒壊してしまいました。その先、一合目にある鈴原社も建物の一部が損傷しています。この周辺には富士講に関する石碑が残されていますが、地震によって倒壊したり、一部が欠損していたり。こちらも速やかな対策が求められています。 廃屋となっている二合目の富士御室浅間神社。 「10年前に富士吉田市が建造物調査を行い、それを受けて一部の建造物の建材の撤去を行いましたが、あれから時間が経って残された建物の損傷も進んでいます。費用の問題に加え、ユネスコ世界文化遺産に指定されていることからさまざまな制限を受け、今後の事業計画を立てづらいという問題があります。撤去するのか、保全して活用するのか、活用するならどう使うのか。ぜひみんなで考えていきたいですね」(太田さん) かつての行者がまとっていた道衣。富士山は生まれ変わりの場と信じられていたことから、「あの世にいくための装束」として白装束をまとって登拝していました。手にした金剛杖は、富士山の霊力を保持するため、馬返しより下では地面につけずに江戸や遠い故郷まで持ち帰ったといいます。 一合目の鈴原社の前にはたくさんの石造物が。 馬返しの鳥居に鎮座するのは、狛犬ならぬ猿!富士山の出現が庚申(かのえさる)の年であったという言い伝えが庚申信仰と結びつき、猿が富士山の遣いと考えられるように。 その先の大文司屋を経て馬返しから再び中ノ茶屋に戻り、トレイルの振り返りを行いました。グループに分かれ、吉田口登山道で見つけた課題を洗い出し、ディスカッションを行います。 「初めて吉田口登山道にまつわるストーリーを耳にし、信仰の道、文化の道としての魅力を感じた。とはいえ、こうしたストーリーを知る人が少ないのは残念。各スポットを紹介する音声ガイドに飛べるQRコードが用意されているものの、その存在も知られていない」 「中ノ茶屋には今年からスターリンクも導入されたのだから、これを活用してデジタルコンテンツを作成できるのでは?」 「富士吉田の街と登山道を結びつける仕掛けが必要だと思う。トレイルランナーは多く見かけたので、ランナーが魅力に感じる演出を、富士吉田の街にも作るといい」 「御師町と五合目以下のつながりを楽しめる、デジタルガイドツアーのような仕掛けを作っていけないか」 「音声ガイドの存在をアピールするため、富士講とゆかりのある場所でデジタルガイドツアーを開催するのはどうだろう。都内にも富士講に関する史跡が点在するというから、それをめぐるロゲイニングイベントを行い、富士講と富士みちの認知を高めてみては?」 中ノ茶屋で行われたディスカッションの様子。...
魅力あふれる吉田口五合目までの活用を考える「富士山登山道整備ワークショップ」をレポート
太田安彦(一般社団法人マウントフジトレイルクラブ代表理事)田代広久(富士吉田市案内組合 組合長)池敏子(富士山ガイド) 北口本宮冨士浅間神社から山頂までを結ぶ吉田口登山道は、富士山の登山道のうち、山麓から山頂まで歩いてアクセスできる唯一のルートです。かつては“富士みち”として親しまれ、富士講の行者による登拝がさかんに行われていましたが、1964年に富士スバルラインが開通してスバルライン五合目が設置されると、五合目以下の利用者が激減。登山道は一気に荒廃していきました。 富士講にまつわる石造物が並び、信仰の道としての歴史をいまに伝えています。 吉田口登山道には富士山信仰の歴史をいまに伝える神社や小屋跡、石造物が残されていますが、その多くが老朽化しています。富士みちをどう活用し、歴史的価値や楽しみ方を伝えていくのか。こうした現状や課題を、登山道にまつわる歴史を学びながら、活用を考えようというワークショップが、サロモンを含めたアメアスポーツジャパンのスタッフとその関係者に向けて実施されました。 ここではワークショップの内容をお伝えするとともに、富士山と富士登山にまつわる文化や活動をサポートするサロモンスタッフが、吉田口登山道が抱える課題に対してどんな思いをいただいたのか、リアルな声もご紹介します。 開山直前の週末に行われた「富士山登山道整備ワークショップ」。当日の朝、スタート地点となった中ノ茶屋前には、東京から参加したサロモンのスタッフを中心に、アメアスポーツジャパンおよびその関係者30名と、それを迎える富士吉田市職員、そしてワークショップを引率するガイドが集合しました。 プログラムは「ユネスコ世界文化遺産の構成要素である山域の信仰遺跡群と文化財を多くの人に見てほしい」という堀内茂・富士吉田市長の挨拶でスタート。続いて登場したショーン・ヒリアー・アメアスポーツジャパン代表取締役社長は「環境、スポーツ、富士山の自然……大事なことに思いを馳せながら歩いてみましょう」と、ワークショップでの心構えを説きました。 さまざまな資料とともに、吉田口登山道の歴史や文化を解説してくれたガイドの太田さん(右)と田代さん(左)。 ワークショップに参加したショーン・ヒリアー社長。 中ノ茶屋でのオリエンテーション後、参加者はバスにのって細尾野林道入り口へ。ここから本日のガイドを務める太田安彦さん(一般社団法人マウントフジトレイルクラブ代表理事)と田代広久さん(富士吉田市案内組合 組合長)、池敏子さん(富士山ガイド)の案内のもと、三合目から一合目直下の馬返しまでを歩きます。三合目に至る細尾野林道は、本線と比べるとハイカーやトレイルランナーの姿もぐっと少なく、ヘビイチゴやヤマツツジなどこの時期に花咲く植物を眺めながら静かな山歩きを楽しめます。三合目の手前に現れたのが「女人天上(にょにんてんじょう)」という遥拝場。富士山が女人禁制だった時代、女性たちはここから富士山を拝んだといいます。ここで太田さんから、富士山信仰についての解説が行われました。 ほとんど認知されていないという「女人天上」へ。遥拝場へ至る急なトレイルの周辺ではたくさんの古銭が発見されているとか。 「富士山信仰は古代、噴火を繰り返す富士山そのものを神格化する自然崇拝から生まれました。当時は遠くから眺め、畏怖する対象だったようです。平安時代になると日本古来の山岳信仰と密教・道教が結びついて修験道が盛んになり、行者による登拝が行われるようになりました。15〜16世紀になると登拝が庶民にまで広まり、富士講の開祖・長谷川角行とその弟子、食行身禄(じきぎょうみろく)によって一気に大衆化。富士吉田の街には御師町(おしまち)が開かれ、日本全国から信者が押し寄せるようになりました。そこから現代のレジャー登山へと開かれていくのです」 「女人天上」で記念撮影。「女人天上」前の樹木は伐採されており、ここから富士山の頂をのぞくことができますが、背後の富士山は雲に隠れてしまいました。 富士山とご来光を同時に見渡せるスポットですが、登山道本線から外れていることもあり、ここの存在はほとんど知られていません。けれども、女性の入山が禁じられていた山岳信仰の当時の姿や、富士講が説いた男女平等を実現するために男装で登った女性信者のエピソードが残る「女人天上」は、富士山信仰を伝えるうえで欠かせないスポット。富士山の吉田口登山道のハイライトの一つとしてここをどう活用するか、今後の課題の一つとなっています。 「女人天上」を経て三合目(標高1840m)の、通称「三軒茶屋」へ。富士五湖を一望するロケーションで、江戸時代には「見晴茶屋」と「はちみつ屋」という小屋があり、お茶を点てて登拝者をもてなしていました。ここに残されている廃屋は、かつての「はちみつ屋」跡。残置された廃材・廃屋は登山道の景観を損ねますが、国立公園内に位置することもあってさまざまな規制の対象となっており、再建や撤去が難しいのだといいます。 三合目からさらに下り、二合目(標高1700m)の富士御室浅間神社跡へ。河口湖の南岸にある富士御室浅間神社の本宮で、富士山で最古の創建と伝えられます。戦国時代には武田信玄が勝利を祈願したという由緒ある神社ですが、こちらも登山道の荒廃とともに参拝や維持がなされなくなり、倒壊してしまいました。その先、一合目にある鈴原社も建物の一部が損傷しています。この周辺には富士講に関する石碑が残されていますが、地震によって倒壊したり、一部が欠損していたり。こちらも速やかな対策が求められています。 廃屋となっている二合目の富士御室浅間神社。 「10年前に富士吉田市が建造物調査を行い、それを受けて一部の建造物の建材の撤去を行いましたが、あれから時間が経って残された建物の損傷も進んでいます。費用の問題に加え、ユネスコ世界文化遺産に指定されていることからさまざまな制限を受け、今後の事業計画を立てづらいという問題があります。撤去するのか、保全して活用するのか、活用するならどう使うのか。ぜひみんなで考えていきたいですね」(太田さん) かつての行者がまとっていた道衣。富士山は生まれ変わりの場と信じられていたことから、「あの世にいくための装束」として白装束をまとって登拝していました。手にした金剛杖は、富士山の霊力を保持するため、馬返しより下では地面につけずに江戸や遠い故郷まで持ち帰ったといいます。 一合目の鈴原社の前にはたくさんの石造物が。 馬返しの鳥居に鎮座するのは、狛犬ならぬ猿!富士山の出現が庚申(かのえさる)の年であったという言い伝えが庚申信仰と結びつき、猿が富士山の遣いと考えられるように。 その先の大文司屋を経て馬返しから再び中ノ茶屋に戻り、トレイルの振り返りを行いました。グループに分かれ、吉田口登山道で見つけた課題を洗い出し、ディスカッションを行います。 「初めて吉田口登山道にまつわるストーリーを耳にし、信仰の道、文化の道としての魅力を感じた。とはいえ、こうしたストーリーを知る人が少ないのは残念。各スポットを紹介する音声ガイドに飛べるQRコードが用意されているものの、その存在も知られていない」 「中ノ茶屋には今年からスターリンクも導入されたのだから、これを活用してデジタルコンテンツを作成できるのでは?」 「富士吉田の街と登山道を結びつける仕掛けが必要だと思う。トレイルランナーは多く見かけたので、ランナーが魅力に感じる演出を、富士吉田の街にも作るといい」 「御師町と五合目以下のつながりを楽しめる、デジタルガイドツアーのような仕掛けを作っていけないか」 「音声ガイドの存在をアピールするため、富士講とゆかりのある場所でデジタルガイドツアーを開催するのはどうだろう。都内にも富士講に関する史跡が点在するというから、それをめぐるロゲイニングイベントを行い、富士講と富士みちの認知を高めてみては?」 中ノ茶屋で行われたディスカッションの様子。...
江戸時代にブームを巻き起こした、富士山信仰と富士講のこと
江戸時代にブームを巻き起こした、富士山信仰と富士講のこと 御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki18代目・大鴈丸一志 / 奈津子 サロモンと富士吉田市が掲げるRe Style Projectでは、歴史ある吉田登山口の信仰や文化、ストーリーを再解釈し、富士山を象徴するルートである古きよき「富士みち」の魅力を改めて発信していきます。 富士みちとはなにか、どういう背景で生まれたものなのか。富士みちをひもときながらこの地に欠かせない御師(おし)の存在と、21世紀に継承される御師文化について考えていきましょう。 2ヶ月余りの開山期に、20万人もの登山者を受け入れる富士山。その登山の歴史は古く、平安時代末期にまで遡ります。とはいえ、当時、富士山を登っていたのは修験者たちに限られていました。木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)が鎮座する聖なる山で、厳しい修行に励んだといいます。この時期、末代上人は富士山に数百回も登頂し、山頂に大日寺を建立しました。 室町時代になるとこれが大衆化し、行者が庶民を連れて富士山に出かけるようになりました。それに伴い、現在の吉田口、御殿場口、須走口、富士宮口の原型となる登山道の整備が進みます。また、富士山をモチーフにした芸術作品も数多く誕生しました。人々にとって富士山とは“あの世”を意味していました。“あの世”に至ることで、一度死んで生まれ変わることができる――当時はそう信じられていたのです。 そこからさらに時代が下り、江戸時代になると富士山詣でが一大ブームを巻き起こします。きっかけは、戦国時代末期に登場した行者、長谷川角行が説いた教えでした。これが弟子の食行身禄(じきぎょうみろく)によって庶民に一気に広まり、世の中を席巻したのです。とはいえ、富士山へ出かけるためには莫大な資金が必要で、庶民にとって富士山詣では容易なことではありませんでした。一世一代の大巡礼をかなえるために生まれたのが、富士講という信仰のグループです。各講の構成員が旅行資金を積み立て、毎年、順番に参拝者を送り出すというシステムで、これができたことで多くの庶民が富士山を目指せるようになったのです。最盛期には富士講の総勢は8万人にも及んだというからも、講がどれほどの影響力をもっていたか想像できます。 富士講の信者たちが富士山を目指す際に歩いた信仰の道が「富士みち」です。大月宿(山梨県の大月)で甲州街道から分岐して富士吉田市に至る古道で、現在の国道139号線と富士吉田市の本町通りが該当します。「富士みち」が通る上吉田には、こうした富士講信者たちをサポートする御師宿坊(おししゅくぼう)が軒を連ねていました。御師(おし)とは信者たちに食事や宿を提供し、心身を清める祈祷などを授けた神職のこと。夏の登山シーズン、御師は自宅に講の信者を招いて登拝にまつわる衣食住のコーディネートを行いました。各登山口に御師宿坊が連なる御師町が築かれましたが、もっとも多くの登拝者を集めたのが上吉田の御師町でした。かつては86軒の宿坊がありましたが、富士講の衰退とともに減少し、現在も宿として機能している御師宿坊はわずか4軒のみ。そのうちのひとつが、大鴈丸の屋号をも〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉です。 御師文化を後世に伝えていく 〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉を営むのは、大鴈丸家18代目の大鴈丸一志(ひとし)さんと妻の奈津子さん。御師文化を後世に伝える拠点が必要だと感じた一志さんと奈津子さんは、1990年代に営業をやめていた実家の御師住宅をリノベして現代的なゲストハウスに蘇らせることを決意します。築453年の古民家は、一志さんの父が取り壊すことも考えていたというほど老朽化していましたが、木工職人である一志さん自身が手を入れ、現代の人々が快適に過ごせるようなしつらいにリノベーションしたのです。もちろん、宿坊らしい細工や佇まいは建物のあちこちに生かされています。エントランスを入ってすぐの板の間にはギャラリースペースを設け、古い道具や御師の斎服などかつての御師文化を垣間見ることができるオブジェを展示。家紋をあしらった美しい建具もそのまま残り、とくに海外からの旅行者に喜ばれています。 ゲストハウスを再開する以前、大鴈丸夫妻は上吉田にある御師の後継者と協働して富士講の歴史や御師文化を学ぶ勉強会を開催していました。コロナ禍により中断を余儀なくされるまで8年ほど続けていたといいます。 「御師文化や御師宿坊は廃れていく一方ですが、世間一般が思う富士山とは別の一面があること、この街のベースにはその文化があったことを現代の人にも知ってもらいたいと思っています。そうした一面を知っていただくと、『制覇する山』ではなく『生まれ変わりの山』『聖なる山』という新たな視点で富士山を感じていただけるのではないでしょうか」(一志さん) 2016年に営業を再開すると、富士山信仰に興味をもつ多くの外国人がここを拠点に富士山麓や富士吉田を散策するようになりました。「山とつながる、自然に生かされるという日本人らしい自然観は外国人にとってとても魅力のあるものなんですね。実際、ここ2、3年で麓から富士山山頂を目指す外国人旅行者が増えているように思います。このゲストハウスでは、それを体感していただけるような宿泊体験を提供していきます」(奈津子さん) 古くて新しい富士山との向き合い方を継承すべく、大鴈丸夫妻は同世代の御師後継者たちと手を携え、新たに御師団青年部を立ち上げました。今後はインバウンド向けに御師料理(御師宿坊で行者に提供していたローカルな精進料理)をはじめとする御師文化体験ツアーの開催も予定しています。また、一志さんは新たに神職の資格を取得することも計画中。宿泊者に向けての祈祷や禊など、ここで提供してきた御師業を復活させたいと考えています。さらに、御師文化とアートを組み合わせる取り組みとして、富士山や御師文化にインスピレーションを受けた作家たちによるアーティスト・イン・レジデンスプログラムを開発したり、こうした取り組みから生まれた作品を紹介するギャラリーを開設したり……なんてことも構想しているとか。富士山が世界文化遺産に登録された理由の一つにはさまざまな芸術作品の源泉となってきた事実がありますが、御師文化が育まれた富士吉田の街に現代アートという視点がもたらされることは、富士山ルネサンスといえるかもしれません。 「信仰の歴史を垣間見られるような仕掛けがあり、どこかおごそかな気配を感じられるような、そんな魅力ある富士みち(本町通り)を再興したい」という大鴈丸夫妻。Re Style Projectは〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉をはじめとする現代の御師たちと手を携え、富士山信仰と富士みち、そして御師文化を世界に発信していきます。 【御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki】所在地:山梨県富士吉田市上吉田7-12-16電話番号:080-1525-9515URL:https://www.instagram.com/fugakuxhitsuki/
江戸時代にブームを巻き起こした、富士山信仰と富士講のこと
江戸時代にブームを巻き起こした、富士山信仰と富士講のこと 御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki18代目・大鴈丸一志 / 奈津子 サロモンと富士吉田市が掲げるRe Style Projectでは、歴史ある吉田登山口の信仰や文化、ストーリーを再解釈し、富士山を象徴するルートである古きよき「富士みち」の魅力を改めて発信していきます。 富士みちとはなにか、どういう背景で生まれたものなのか。富士みちをひもときながらこの地に欠かせない御師(おし)の存在と、21世紀に継承される御師文化について考えていきましょう。 2ヶ月余りの開山期に、20万人もの登山者を受け入れる富士山。その登山の歴史は古く、平安時代末期にまで遡ります。とはいえ、当時、富士山を登っていたのは修験者たちに限られていました。木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)が鎮座する聖なる山で、厳しい修行に励んだといいます。この時期、末代上人は富士山に数百回も登頂し、山頂に大日寺を建立しました。 室町時代になるとこれが大衆化し、行者が庶民を連れて富士山に出かけるようになりました。それに伴い、現在の吉田口、御殿場口、須走口、富士宮口の原型となる登山道の整備が進みます。また、富士山をモチーフにした芸術作品も数多く誕生しました。人々にとって富士山とは“あの世”を意味していました。“あの世”に至ることで、一度死んで生まれ変わることができる――当時はそう信じられていたのです。 そこからさらに時代が下り、江戸時代になると富士山詣でが一大ブームを巻き起こします。きっかけは、戦国時代末期に登場した行者、長谷川角行が説いた教えでした。これが弟子の食行身禄(じきぎょうみろく)によって庶民に一気に広まり、世の中を席巻したのです。とはいえ、富士山へ出かけるためには莫大な資金が必要で、庶民にとって富士山詣では容易なことではありませんでした。一世一代の大巡礼をかなえるために生まれたのが、富士講という信仰のグループです。各講の構成員が旅行資金を積み立て、毎年、順番に参拝者を送り出すというシステムで、これができたことで多くの庶民が富士山を目指せるようになったのです。最盛期には富士講の総勢は8万人にも及んだというからも、講がどれほどの影響力をもっていたか想像できます。 富士講の信者たちが富士山を目指す際に歩いた信仰の道が「富士みち」です。大月宿(山梨県の大月)で甲州街道から分岐して富士吉田市に至る古道で、現在の国道139号線と富士吉田市の本町通りが該当します。「富士みち」が通る上吉田には、こうした富士講信者たちをサポートする御師宿坊(おししゅくぼう)が軒を連ねていました。御師(おし)とは信者たちに食事や宿を提供し、心身を清める祈祷などを授けた神職のこと。夏の登山シーズン、御師は自宅に講の信者を招いて登拝にまつわる衣食住のコーディネートを行いました。各登山口に御師宿坊が連なる御師町が築かれましたが、もっとも多くの登拝者を集めたのが上吉田の御師町でした。かつては86軒の宿坊がありましたが、富士講の衰退とともに減少し、現在も宿として機能している御師宿坊はわずか4軒のみ。そのうちのひとつが、大鴈丸の屋号をも〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉です。 御師文化を後世に伝えていく 〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉を営むのは、大鴈丸家18代目の大鴈丸一志(ひとし)さんと妻の奈津子さん。御師文化を後世に伝える拠点が必要だと感じた一志さんと奈津子さんは、1990年代に営業をやめていた実家の御師住宅をリノベして現代的なゲストハウスに蘇らせることを決意します。築453年の古民家は、一志さんの父が取り壊すことも考えていたというほど老朽化していましたが、木工職人である一志さん自身が手を入れ、現代の人々が快適に過ごせるようなしつらいにリノベーションしたのです。もちろん、宿坊らしい細工や佇まいは建物のあちこちに生かされています。エントランスを入ってすぐの板の間にはギャラリースペースを設け、古い道具や御師の斎服などかつての御師文化を垣間見ることができるオブジェを展示。家紋をあしらった美しい建具もそのまま残り、とくに海外からの旅行者に喜ばれています。 ゲストハウスを再開する以前、大鴈丸夫妻は上吉田にある御師の後継者と協働して富士講の歴史や御師文化を学ぶ勉強会を開催していました。コロナ禍により中断を余儀なくされるまで8年ほど続けていたといいます。 「御師文化や御師宿坊は廃れていく一方ですが、世間一般が思う富士山とは別の一面があること、この街のベースにはその文化があったことを現代の人にも知ってもらいたいと思っています。そうした一面を知っていただくと、『制覇する山』ではなく『生まれ変わりの山』『聖なる山』という新たな視点で富士山を感じていただけるのではないでしょうか」(一志さん) 2016年に営業を再開すると、富士山信仰に興味をもつ多くの外国人がここを拠点に富士山麓や富士吉田を散策するようになりました。「山とつながる、自然に生かされるという日本人らしい自然観は外国人にとってとても魅力のあるものなんですね。実際、ここ2、3年で麓から富士山山頂を目指す外国人旅行者が増えているように思います。このゲストハウスでは、それを体感していただけるような宿泊体験を提供していきます」(奈津子さん) 古くて新しい富士山との向き合い方を継承すべく、大鴈丸夫妻は同世代の御師後継者たちと手を携え、新たに御師団青年部を立ち上げました。今後はインバウンド向けに御師料理(御師宿坊で行者に提供していたローカルな精進料理)をはじめとする御師文化体験ツアーの開催も予定しています。また、一志さんは新たに神職の資格を取得することも計画中。宿泊者に向けての祈祷や禊など、ここで提供してきた御師業を復活させたいと考えています。さらに、御師文化とアートを組み合わせる取り組みとして、富士山や御師文化にインスピレーションを受けた作家たちによるアーティスト・イン・レジデンスプログラムを開発したり、こうした取り組みから生まれた作品を紹介するギャラリーを開設したり……なんてことも構想しているとか。富士山が世界文化遺産に登録された理由の一つにはさまざまな芸術作品の源泉となってきた事実がありますが、御師文化が育まれた富士吉田の街に現代アートという視点がもたらされることは、富士山ルネサンスといえるかもしれません。 「信仰の歴史を垣間見られるような仕掛けがあり、どこかおごそかな気配を感じられるような、そんな魅力ある富士みち(本町通り)を再興したい」という大鴈丸夫妻。Re Style Projectは〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉をはじめとする現代の御師たちと手を携え、富士山信仰と富士みち、そして御師文化を世界に発信していきます。 【御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki】所在地:山梨県富士吉田市上吉田7-12-16電話番号:080-1525-9515URL:https://www.instagram.com/fugakuxhitsuki/
アフタヌーンカフェている
アフタヌーンカフェている 〈かぎしっぽ〉の2階にオープンしたばかりの〈アフタヌーンカフェている〉は、飲んだあとにふらりと立ち寄りたい夜パフェの専門店。ハシゴ酒を楽しみたい西裏で〆スイーツの需要に応えるユニークなカフェです。女性の一人客が居心地良く過ごせるシックな空間で提供するのは、県内産の季節のフルーツをふんだんに使ったフルーツパフェに、定番のチョコパフェや抹茶パフェ。富士吉田の街を満喫した後にぜひ立ち寄りたいライフスタイルパートナーです。 【アフタヌーンカフェている】所在地:山梨県富士吉田市下吉田3-12-69 S/PLUS(サロモンメンバーシッププログラム)サービス内容 ミニサイズのフード、ミニパフェ、ドリンク(ビール、甲州ワインなど)から1品サービス ※ライフスタイルパートナーとは……サロモンとの親和性や価値を相互に向上し合い、サロモン メンバーシッププログラム「S/PLUS」のメンバーへ特別なサービスを提供する施設や店舗のこと。富士吉田市のライフスタイルパートナーにおいては、吉田口登山道の歴史と文化、価値をサロモンとともに捉え直して新たに発信していく仲間でもある。 S/PLUSメンバー登録はこちら
アフタヌーンカフェている
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かぎしっぽ
かぎしっぽ 富士吉田には登山後のお楽しみももりだくさん!その一つが、富士みちの1本裏手にある “麓の飲み屋街”といわれる西裏での飲み歩きです。織物産業で栄えた富士吉田には県内外の職人や業者、商人が集まり、「関東屈指の歓楽街」と謳われる繁華街、西裏が形成されました。現在も数十軒の飲食店が軒を連ねますが、昭和の時代の佇まいをとどめる、どこかノスタルジックな街並みが再び注目を集めています。とくに、地元有志による西裏地区活性化プロジェクトから誕生した「新世界乾杯通り」は見逃せません。「新世界乾杯通り」で注目したいライフスタイルパートナーが、人気のイタリアンレストラン〈かぎしっぽ〉。オーナーシェフの高橋亮太さんは水のきれいな地域で自分の店をもちたいと、東京から移住しました。「できるかぎり県内の食材を使う」というメニューは季節がわりで、これからの季節は夏野菜をふんだんに使ったピザやマリネが登場します。甲州や勝沼のワインとのペアリングをお楽しみに。 【かぎしっぽ】所在地:山梨県富士吉田市下吉田3-12-69電話番号:0555-73-8858営業時間:18:00〜22:00定休日:日曜 S/PLUS(サロモンメンバーシッププログラム)サービス内容 ミニサイズのフード、ミニパフェ、ドリンク(ビール、甲州ワインなど)から1品サービス ※ライフスタイルパートナーとは……サロモンとの親和性や価値を相互に向上し合い、サロモン メンバーシッププログラム「S/PLUS」のメンバーへ特別なサービスを提供する施設や店舗のこと。富士吉田市のライフスタイルパートナーにおいては、吉田口登山道の歴史と文化、価値をサロモンとともに捉え直して新たに発信していく仲間でもある。 S/PLUSメンバー登録はこちら
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かぎしっぽ 富士吉田には登山後のお楽しみももりだくさん!その一つが、富士みちの1本裏手にある “麓の飲み屋街”といわれる西裏での飲み歩きです。織物産業で栄えた富士吉田には県内外の職人や業者、商人が集まり、「関東屈指の歓楽街」と謳われる繁華街、西裏が形成されました。現在も数十軒の飲食店が軒を連ねますが、昭和の時代の佇まいをとどめる、どこかノスタルジックな街並みが再び注目を集めています。とくに、地元有志による西裏地区活性化プロジェクトから誕生した「新世界乾杯通り」は見逃せません。「新世界乾杯通り」で注目したいライフスタイルパートナーが、人気のイタリアンレストラン〈かぎしっぽ〉。オーナーシェフの高橋亮太さんは水のきれいな地域で自分の店をもちたいと、東京から移住しました。「できるかぎり県内の食材を使う」というメニューは季節がわりで、これからの季節は夏野菜をふんだんに使ったピザやマリネが登場します。甲州や勝沼のワインとのペアリングをお楽しみに。 【かぎしっぽ】所在地:山梨県富士吉田市下吉田3-12-69電話番号:0555-73-8858営業時間:18:00〜22:00定休日:日曜 S/PLUS(サロモンメンバーシッププログラム)サービス内容 ミニサイズのフード、ミニパフェ、ドリンク(ビール、甲州ワインなど)から1品サービス ※ライフスタイルパートナーとは……サロモンとの親和性や価値を相互に向上し合い、サロモン メンバーシッププログラム「S/PLUS」のメンバーへ特別なサービスを提供する施設や店舗のこと。富士吉田市のライフスタイルパートナーにおいては、吉田口登山道の歴史と文化、価値をサロモンとともに捉え直して新たに発信していく仲間でもある。 S/PLUSメンバー登録はこちら